もともとキヤノンのフィルムカメラから始めて、その後PENTAXユーザーになり、デジタルでもPENTAXから始めたものの、ミラーレスに未来を感じて以後ずっとSONYのカメラを使っています。
ソニーのカメラ、特に大ヒットしたα7Ⅲはフルサイズデジタルカメラに大きな衝撃を与えた大ヒット商品です。僕の愛用しているα9も同機種と似たスペックのカメラです。
これらのカメラが、ミラーレスにもかかわらず爆速でピントを合わせてくれて、綺麗で繊細な画像を書き出してくれる非常に優秀なカメラであることは間違いありません。
誰が撮っても同じ
誰が撮ってもピントを外さず、いい瞬間を切り取ることができ、自然な色味。良くも悪くもそんな夢のような要望を叶えてしまうのが、ソニーの最新ミラーレスカメラです。
カメラを始めたばかりの人でも簡単に上手に撮れてしまう。大ヒットするのは当然です。これはとても素敵なことで、メーカーやその研究者さんたちの、ものすごい努力の証だと思います。日本の技術力の誇り。
ただ、その結果として、卑屈な捉え方かもしれませんが、写真が無個性になっているように感じます。これは、ソニーのカメラだけの影響ではなく、手軽に写真を撮れるようになった、スマートフォンの台頭も影響しているでしょう。
JPG撮って出しの色味
JPG撮って出しの色味の良し悪しについては色々なことが言われています。FUJIが味があるとか、キャノンが綺麗とか。
個人的にはソニーは植物を撮って出しした時に少し眠いかな、とは思うのですが、機種による差もありますし、そもそもJPG撮って出しってそんなに使わないので、ここを比較してもあまり意味がないかなと思います。
ユニフォームや制服、スーツのそれと同じように
無個性故に本質的な意味での個性がよく見えるものです。
服装などにしても、自由だとその自由さに目がいってしまいますが、皆が同じ服、たとえばユニフォームや制服、スーツなどを来ていると、服装自体では比較されなくなり、その人自身が比較の対象になります。
写真に置き換えると、誰でも綺麗に撮れるので一見同じに見えてきますが、そこ(ユニフォーム)が目立たなくなる分、その人の個性自体がよく見えるようになる。ということです。
もちろん、ユニフォームだけ着ているような写真も増えているはずで、ソニーや最近のデジタル写真がつまらないと言うのはその点について言及しているのだとは思いますが。(そしてそれもよくわかる。)
個性を出すためには
では個性を出すためには何をしたらいいのか。究極的な解いであり、ある種禅問答的なところもありそうですが、言うなれば自分自身のことをよく知ることだと思います。
進化より深化。掘り下げること。
好きがなぜ好きか。綺麗がなぜ綺麗か。物を素材に分けて、素材を原料に分けて、原料を分子に分けて、分子を原子にまで分けて、原子が見えたらそこから再構築していく。
誰かの為で物ではなく
instagramがいいねの数表示を廃止すると聞いた時、僕の中でのfacebook社の株がぐーんと上がりました。(たぶん反対派が多いとは思いますが。)
いいねは承認欲求を満たす便利なボタンです。人は他人からポジティブな評価を受けると嬉しい気持ちになります。それを他人に見せつけることができると尚更です。これは社会性を武器に進化してき人類共通の特徴でしょう。
でも弊害があります。人からどう見られるかにしか意識がいかなくなることです。個性とは自身の掘り下げにあると言いました。故に、いいねを追求すると写真はどんどん没個性化します。
カメラとしての深化
僕がソニーのカメラを使う理由は(性能云々もありますが、それより)ソニーのスタンスです。
世界がデジタル一眼レフに力に注目し、他社がそれを一生懸命に作っている最中、ほとんど見向きもせずに自分たちの美しいとする物(ミラーレス)ばっかり作る。最初は白い目で見られていました。でもそのスタンスを変えない。この在り方が、個性的で写真らしいなと感じました。
だからその機器に触れ、自身への掘り下げを忘れないように、と、ソニーを使い続けています。
(そういえばApple製品も似たようなところがあるかもな)